「一言で表現する」ことについて

仕事場では、「要するに」「一言でいうと」「結論からいうと」のような表現が求められることがあります。日常のコミュニケーションレベルであれば、それは単にスキルの問題です。日々の努力で修正可能です。
問題となるのは、「ビジョン」のようなものを一言で表すときです。これはスキルの問題というより、姿勢の問題であり、「言葉」や「人間」に対する世界観の問題になってきます。 続きを読む 「一言で表現する」ことについて

人生のピークを、もう一度。

私の人生のピークは中学生のときなんですね。
部活がそのピークをもたらしていました。毎日が楽しかったし、仲間と泣いて笑って。新鮮で身の毛もよだつ(?)フロー体験が続いた日々だったんですね。世界的に何か成功を収めたとかではないのですが、思春期の自分の心身を震えさせるに十分な日々だったわけです。
でも、そのあとはそれほど大きな山が作れずにいました。 続きを読む 人生のピークを、もう一度。

大きな意思決定

人は常に選択をして生きています。
選択肢を自製し、そこから選び取ることをことを自発的といったりします。
生理的であったり外部から提供される選択肢からえらぶことを、受け身といったりもします。

それは一人の人生に関わるものだけではなく、ビジネスにおいても同様です。
すべては期待されるリターンに対して、どのような投資をするのか?が選択するという行為です。場合によっては、ポートフォリオとして複数の選択をすることもあります。

企業において、配分するリソースはすべて金額換算が可能です。資産はもちろんのこと、ヒューマン・リソースについても、時給換算でリターンを推し量ることになります。

個人の場合は、大きく異なるのではないでしょうか。稼いだお金や、協力してくれる友人、をいかに活かすかということを考えることもあるかもしれません。でも多くの場合は、自分自身の時間であると思います。

自分の時間は、睡眠や休憩、雑務で10時間程度。活動できるのは14時間。またこのうち、もっとも集中できるのは数時間ではないでしょうか。
ちなみに限られた時間を最大活用するには、「集中できる時間を増やす」「兼ねる(複数の活動を兼ねる、雑務と本務を兼ねる)」ということだと思います。人によっては睡眠を削ることも可能だと思います。

さて、では自分の時間を何に割り当てていくべきでしょうか?
ある研究によれば、「食事内容、運動量、感情」は、日々の体調だけでなく、なんと遺伝子レベルにまで変化を及ぼしているそうです。それどころか、正しく行えば、脳細胞の数を増やし、活性化することがわかってきています。
少なくとも、これらの投資は大切でしょう。
食事に関しては、どのような栄養素をとるか、がもちろん大切ですが、「どのように」摂るかが実は大切です。すなわち、調理したてのものを食べるというのがとても大切なことなのです。できるだけ、できたてのものを食べるように心がけたいものです。少なくとも、休みの日は。
運動量に関しては、毎日20分以上、脈拍数を通常の倍に保つ時間をもつことが好ましいとされています。毎日1時間は運動にあてたいものです。義務ではなく、ほかの時間が一層楽しく充実するための攻めの姿勢です。
さて、感情です。これは二つあると思います。自分自身の心がけ。ネガティブなこ言葉を発さない、考えない。逆に言えばポジティブに気楽に愉快に考える。もうひとつ大切なことは、そのような人と共にいることだと思います。

・・・以上、2月ごろに下書きをして、書きかけの状態でした。「大きな意思決定」と題して続きに何を書こうとしていたのか?今となっては不明ですので、このまま投稿します。

神の声

2011年1月6日は僕の人生の中で、忘れられない日となりました。多くのことを学びました。それを忘れないように、書き留めておきたいと思います。

人生の終わりはいつやってくるかわからない。前触れはない。
だから、決して出し惜しみはするな。最短距離で世界に成果を届け続けろ。

(僕が生命の危険にさらされたわけではありません(笑)。ただ、そのようなメッセージを受け取ったということです。)

low self esteemは罪である。周りを不幸にする。
常に自信ある態度で、リスクを気軽にかつぎ、颯爽と前進しよう。

(そのような態度のせいで人の人生を重大なリスクに晒す現場に遭遇してしまった。)

自分を思ってくれる家族や仲間がいる。
ただそれを感じ、少なくとも心の中で大切にしよう。

年齢的にも人生の転換点です。
「やったけどだめだったー」とかいってる時間もありません。

うさぎとかめ

有名なイソップの寓話のなかに「ウサギとカメ」の話があります。競争するが、余裕綽々のウサギはカメに大差をつけた時点で気を抜いて寝てしまい、その間にカメはゴールするというもの。

ではここで問題です。競争の間、ウサギは何を見ていたのでしょう?

そう、ウサギはカメを見ていたんですね。カメよりも前にいくんだ!いま、どれくらいの差がついただろう?そんなことばかりを意識していました。
でもカメは、ゴールだけを見ていた。まわりとの差異ではなく、進みはゆっくりでも、着実に自分のものにしていったんですね。

人目を気にしていてばかり。まわりと比較してばかり。競合を気にしてばかり。それでは、何もできずに終わっちゃうんですね。
自分の人生は生きられないんですね。

たとえば、Googleは「Google の使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです。」というゴールだけを見てきたんですね。もちろん、競合を意識して微調整をしないこともないでしょうし、ゴールに最短距離で到達するにあたり、他社から取り入れるべきものは取り入れることもあるんでしょう。

そんなことを、今日はある方からお話をお伺いしていました。
その方のお話で、もうひとつ。

それは、「人を利用する」ということ。「利用する」という言い方は悪い感じがします。ではなく、自分に活かす。ということ。自分のゴールのために。自分ひとりでできることなんて、ほとんどない。大きな人を成し遂げる人は、100のうち99は人の力。

大切なのは、「それが誰か」ということ。自分の将来にとって価値がある人。その人と中心的に時間を割き、一緒にいること。それは好き嫌いではなく、大切かどうか、関連性が高いかどうか。

そのようにして人に助けられたり、助けたりすることで、最終的には「幸せな老人になる」ということです。老人というものは、厄介者。体が動かない、ただ世話をされるだけのもの。になることがあります。しかしながら、徳のある人、それまでの人生で様々な人との関係性があれば、まわりが「あの人をなんとか助けよう」となるのだそうです。

老いて初めて、その人の真価がわかるということです。「早く人より成功する」ことがもてはやされる昨今ですが、寂しく死んでいく人も中にはいるわけです。人生の途上で、他人と比べてどうか、ではなく、自分のゴールに向かってブレることなく、歩んで生きたいものです。

私が思ったことは、
たとえば「明日死ぬかもしれない」ことを前提に物事を考えるべきだ、あるいはそこに大きなヒントがある、とする考え方があります。それはひとつの真理だと思います。
しかしながら、一年に春夏秋冬があり、それにそって計画的に、季節とともに生活をしていたように、人生にも同じく、大きな流れがあります。また普通に考えれば、明日死ぬ人よりも、老いるまで生きる人のほうが多いのです。
かつては誰もが老人と共に暮らし、「自分はいかに老いるか、死ぬか」という、そこまで明確に考えなくても、遠くに目線をやることができたわけです。しかし核家族化がすすみ、そのようなことは少なくなったのではないでしょうか。

目の前のことに、物質的なことに、ステータスに、・・・
ただ、振り回されて自分を見失い、大切なものを何一つ味わうことなく人生を終えてしまう。そんなリスクが極大まで膨らんでいるのがいまの社会ではないかと思いました。

キャリアについて

自分のキャリアを戦略的に(いや、もっと手前で、計画的に)考えてきませんでした。

なぜか?

  • 重要性を理解していなかったから。
  • ものぐさな性格だから。
  • 「尊敬できる仲間と仕事ができればそれでいい」と思ってきたから。
  • 遠い未来を考えたところでどうしようもなく、目の前のことに没頭するほうがよいと考えてきたから。

しかしながら、いよいよ行き詰まりです(笑)。

30歳を過ぎ、結婚やら育児やら、予定外の首都圏での生活やら。自分以外の人と共に生きていくことを前提に、未来を創っていかなければなりません。

仕事環境でも、「尊敬できる仲間と仕事を続けられる環境」は約束されているわけではありません。常に流動的で、自分の立場もそうです。責任のある立場(結果を出す立場)の階段を昇っていくのか、去るか。年を追うごとにそれを迫られ続けるのがプロフェッショナルの世界でありましょう。

「やりたいことができれば、それでいいんだ」
それをやるためにも、戦略性は必要です。やりたいことをやるために、どんな自分であらねばならぬのか?やりたいこととは、いつ、どこで、何をやっていることなのか?

別の言い方をすれば、
「自分は、やりたいことを、一緒にやりたい人やる資格があるのか?」
ということです。

ここしばらく、「自分は(食っていくために)どうしたらいいんだ?」「オレって、何がしたいんだっけ?」などということを、グルグル考えていました。今の仕事に移ってから、まったくといっていいほど、考えてなかったんですよね。それで、自分を見失ってた。

で、思い出したんです。
「やっぱ戦略考えてるときって、楽しかったよなー」
って。
というより、
「考えた戦略で結果出た瞬間」。

世の中、送り手と受け手のメッセージング次第で、まだまだいけると思うんですよね。逆に、メッセージング(コミュニケーションともいう)を最適化する余地が、計り知れないくらい残っているということです。
企業が自分の強みに気づいていなかったり、表現できていなかったり。また、表現してるつもりが、伝わっていなかったり。その最適化ができれば、お客さんがお金を払ってくれるまでの道筋ができるわけです。

そんなカンタンなことではありませんが、難しいことでもありません。
唯一難しいのは、お客様の顔が見えていないビジネスの場合は、とても難しいです。

販売サイトであれば、どのようなエクスペリエンスをデザインするのか。それがお客様には実際にどのように感じられていて、どうすれば伸びるのか?

それは、数値としてはどう表れていて、それに対してとるべきアクションは何か?

横道にそれてしまいましたが、そんなことが自分がずっとやっていけることだと思ったんです。
であるからには、その事業に対して責任ある立場にあるか、あるいは責任者と一緒にすぐ動きと成果を出せる立場=コンサルタント のどちらかだよね、と。
それはどちらでもいいと思っています。よくある、どちらもを行ったりきたりする人生もありだと思います。

ただそれに向けては、自分の研究分野をもち、その中でしっかり結果を出していくこと。これが今、それも早急に必要だと思っています。
今考えていることとしては、HCD、Analyticsをしっかりとプロダクトサイクルに埋め込んで成果を出すということです。それができれば、怖いものは何もないと思っています。自分が大好きな分野こそ、自分が生きるべき道!

システムトレードをやろうかと思っています

システムトレードについては、様々な情報がある一方で、まだ一般化していない、あるいは敷居が高い側面があることも確かです。いくつか文献に目を通してみましたが、普通のFX口座を申し込むように「サクッ」とはじめられるような方法はいまのところないようです。

本当は、日本のすべての証券会社がAPI対応していればよいのですが。ソフトはすでにフリーで出回っているのです。とりあえず、完全自動とはいわず、バックテストやシグナリングは自動で、一方受発注は手動で、と裁量になりやすそうなやり方になりそうではあります。 続きを読む システムトレードをやろうかと思っています

脱・比較

自分が感じている「生きにくさ」について、気になった記事があったので、ピックアップしてみました。私は元来人目を気にしないたちなのですが、いつの間にか「ライバル症候群」に深くはまってしまったきらいがあると思うのです。つまらないですよね。 続きを読む 脱・比較