「一言で表現する」ことについて

仕事場では、「要するに」「一言でいうと」「結論からいうと」のような表現が求められることがあります。日常のコミュニケーションレベルであれば、それは単にスキルの問題です。日々の努力で修正可能です。
問題となるのは、「ビジョン」のようなものを一言で表すときです。これはスキルの問題というより、姿勢の問題であり、「言葉」や「人間」に対する世界観の問題になってきます。

これから新しいサービスを作っていくとき、「それが何を実現するのか?」=「ビジョン」をチームで共有することが不可欠です。
チームは、「役割分担して一つのものを作る」ためにあるのではありません。それでは、「与えられた仕様どおりのものを作る」だけです。
チームのポテンシャルを活かすには、「ビジョン」という、「同じ絵」が頭の中に描かれていなければなりません。その絵とは、「太い線で力強く描かれた、魅力的だが細部まで描き切っていない絵の下書き」。この絵があるとき、チームメンバーは個々の専門領域から、クリエイティブに発想しだします。

さて、素晴らしい成功を収めている企業の理念やビジョンが、いかに優れているか?について語られることがあります。「一貫している」「わかりやすい」などなど。ですが、本当にそうでしょうか?
私は、短いセンテンスで語られる言葉で、その世界が描けるなんて、そんなバカな!と思います。
描ける場合。それは、それまでの輝かしい軌跡という「絵」がセットで見えているから、その「言葉」に「絵」が見えるのです。そんな「言葉」たちも、実績の伴わないスタートアップ時には、もしかしたら「狂人のたわごと」と思われていたかも しれないと思うのです。
ではまだ軌道にのっていない事業の場合、リーダーはいかにビジョナリーであることができるのでしょうか?

リーダーは「一言で言ってもわかってもらえない」「どんな言葉でいえば通じるか」について悩みます。
一方でフォロワーは「よくわからない」「一言でいうと?」と突き上げたりします。
その「一言」はあってしかるべきだと思います。ただし、「なぜ一言が必要なのか?」「その一言は、どんな役割なのか?」について、自分なりの考えをもっておきたいところです。

私の考えは、「まず初めに、一言で伝えることはあきらめる。その上で、一言の力を使う。」ということです。一言で伝わって人の心が燃えるなら苦労しません。誰でも一流スピーカー、誰でも 大社長、誰でもペテン師になれてしまいます。

それでも、「一言でいうと」をまずいいます。当然通じません。そこから、1万語、10万語を使ってその一言を語りつくす。とことん、絵が見えてくるまで、語ります。ですが、長い言葉は記憶できませんし、逆に全体像を理解できません。 そこで重要な役割をはたすのが、最初に語った「一言」です。ここでの「一言」の役割は、10万語で語った内容の「中心点」であり、プッシュピンのように絵全体を記憶に押しとどめる力です。

おそらく自分がリーダーの立場にいるとしたら、「語りつくす」キャラではないので、下手な絵を描きまくって、あの手この手でひたすら伝えようとするのではないかと思います。あるいは語ってるようで、不完全な絵の完成に向けて、フォロワーを参加させてしまってしたり顔をするのかもしれません。

「わかりやすい」「効率的」「早い」ことが尊重され、型にはめたコミュニケーションでなんとか済ませようとすることが多いように思います。逆にそれが遠回りになってることもあるんじゃないかなあと思うこともあります。
組織がフラつくとき、皆で同じ絵がもてないとき、そんなことを考えています。