決意

会社には、人事のアドバイザリーとして、サーバントコーチ代表 世古詞一さんがいらっしゃいます。
NLP研修をとおして、彼から様々なことを学んでおり、研修参加者の人生が少しずつかわっていくのを目の当たりにしています。
そんな世古さんの社内日報にステキな言葉があったので、勝手ながら紹介させていただきます。

明日から、早起きしよう。
明日から、食べ過ぎないようにしよう。
明日から、人の話をしっかり聴こう。

私達は、様々なことを思いたち「たまに」決意します。

だけど、中々続きません。

なぜでしょうか? 続きを読む 決意

メモ:日本銀行券が紙くずになるまでまだ数年の猶予がある説

紙くずは言い過ぎだけど、価値が急激に下がるタイミングは必ずくる。それがいつなのか?はある程度予想しておきたい。と思い、整理してみました。

まとめ

いまの国債発行残高1,000兆円ですでに、実質的に破綻している。でも「金融資産1,400兆円」というソーシャルリアリティが強固なため、国債が1,400兆円にバランスするまでは大丈夫。
ただし、下り坂に入ったときに、「1,400兆円じゃなかったんです。実はこんな状態なんです」という話になると思われる。
タイミングとしては、2016年前後となる見込み。

破綻のシナリオはわからないけれど、いわゆる一気に何か事件が起こることはないと思います。日銀が際限なく国債購入して、インフレしまくる。という、誰かが意思決定するわけではない、もののあはれを重んずる国民性を全面に出した着地になるんじゃないでしょうか。 続きを読む メモ:日本銀行券が紙くずになるまでまだ数年の猶予がある説

メモ:社会運動に距離置く遠因とか

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日本人はとにかく怒らない。政治家、官僚がどれだけ好き放題やろうと、声をあげずじっと耐える。ときにこの特性は訝しがられ、ときに賞賛される。
筆者は日本人が社会運動から距離をおく一因になったのでは、と浅間山荘事件をとりあげている。確かに、そんな経緯はあるのかもしれない。

長らく、政治の世界にはちっとも優秀な人材があつまらない。それを伝える報道の世界にも。ここまでくると強固な構造として定着している。

ここから実効的に構造の破壊とアクション人数の増加を図るとなると、個人的にはクリエイティブな、大脳旧皮質に直接効くようなことで押し切っていかないといけないかなあと思っている。

ちょっと話変わるけれど、アメリカに個人がロビーできる課金サービスがあったはず。

人生のピークを、もう一度。

私の人生のピークは中学生のときなんですね。
部活がそのピークをもたらしていました。毎日が楽しかったし、仲間と泣いて笑って。新鮮で身の毛もよだつ(?)フロー体験が続いた日々だったんですね。世界的に何か成功を収めたとかではないのですが、思春期の自分の心身を震えさせるに十分な日々だったわけです。
でも、そのあとはそれほど大きな山が作れずにいました。 続きを読む 人生のピークを、もう一度。

大きな意思決定

人は常に選択をして生きています。
選択肢を自製し、そこから選び取ることをことを自発的といったりします。
生理的であったり外部から提供される選択肢からえらぶことを、受け身といったりもします。

それは一人の人生に関わるものだけではなく、ビジネスにおいても同様です。
すべては期待されるリターンに対して、どのような投資をするのか?が選択するという行為です。場合によっては、ポートフォリオとして複数の選択をすることもあります。

企業において、配分するリソースはすべて金額換算が可能です。資産はもちろんのこと、ヒューマン・リソースについても、時給換算でリターンを推し量ることになります。

個人の場合は、大きく異なるのではないでしょうか。稼いだお金や、協力してくれる友人、をいかに活かすかということを考えることもあるかもしれません。でも多くの場合は、自分自身の時間であると思います。

自分の時間は、睡眠や休憩、雑務で10時間程度。活動できるのは14時間。またこのうち、もっとも集中できるのは数時間ではないでしょうか。
ちなみに限られた時間を最大活用するには、「集中できる時間を増やす」「兼ねる(複数の活動を兼ねる、雑務と本務を兼ねる)」ということだと思います。人によっては睡眠を削ることも可能だと思います。

さて、では自分の時間を何に割り当てていくべきでしょうか?
ある研究によれば、「食事内容、運動量、感情」は、日々の体調だけでなく、なんと遺伝子レベルにまで変化を及ぼしているそうです。それどころか、正しく行えば、脳細胞の数を増やし、活性化することがわかってきています。
少なくとも、これらの投資は大切でしょう。
食事に関しては、どのような栄養素をとるか、がもちろん大切ですが、「どのように」摂るかが実は大切です。すなわち、調理したてのものを食べるというのがとても大切なことなのです。できるだけ、できたてのものを食べるように心がけたいものです。少なくとも、休みの日は。
運動量に関しては、毎日20分以上、脈拍数を通常の倍に保つ時間をもつことが好ましいとされています。毎日1時間は運動にあてたいものです。義務ではなく、ほかの時間が一層楽しく充実するための攻めの姿勢です。
さて、感情です。これは二つあると思います。自分自身の心がけ。ネガティブなこ言葉を発さない、考えない。逆に言えばポジティブに気楽に愉快に考える。もうひとつ大切なことは、そのような人と共にいることだと思います。

・・・以上、2月ごろに下書きをして、書きかけの状態でした。「大きな意思決定」と題して続きに何を書こうとしていたのか?今となっては不明ですので、このまま投稿します。

神の声

2011年1月6日は僕の人生の中で、忘れられない日となりました。多くのことを学びました。それを忘れないように、書き留めておきたいと思います。

人生の終わりはいつやってくるかわからない。前触れはない。
だから、決して出し惜しみはするな。最短距離で世界に成果を届け続けろ。

(僕が生命の危険にさらされたわけではありません(笑)。ただ、そのようなメッセージを受け取ったということです。)

low self esteemは罪である。周りを不幸にする。
常に自信ある態度で、リスクを気軽にかつぎ、颯爽と前進しよう。

(そのような態度のせいで人の人生を重大なリスクに晒す現場に遭遇してしまった。)

自分を思ってくれる家族や仲間がいる。
ただそれを感じ、少なくとも心の中で大切にしよう。

年齢的にも人生の転換点です。
「やったけどだめだったー」とかいってる時間もありません。

うさぎとかめ

有名なイソップの寓話のなかに「ウサギとカメ」の話があります。競争するが、余裕綽々のウサギはカメに大差をつけた時点で気を抜いて寝てしまい、その間にカメはゴールするというもの。

ではここで問題です。競争の間、ウサギは何を見ていたのでしょう?

そう、ウサギはカメを見ていたんですね。カメよりも前にいくんだ!いま、どれくらいの差がついただろう?そんなことばかりを意識していました。
でもカメは、ゴールだけを見ていた。まわりとの差異ではなく、進みはゆっくりでも、着実に自分のものにしていったんですね。

人目を気にしていてばかり。まわりと比較してばかり。競合を気にしてばかり。それでは、何もできずに終わっちゃうんですね。
自分の人生は生きられないんですね。

たとえば、Googleは「Google の使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです。」というゴールだけを見てきたんですね。もちろん、競合を意識して微調整をしないこともないでしょうし、ゴールに最短距離で到達するにあたり、他社から取り入れるべきものは取り入れることもあるんでしょう。

そんなことを、今日はある方からお話をお伺いしていました。
その方のお話で、もうひとつ。

それは、「人を利用する」ということ。「利用する」という言い方は悪い感じがします。ではなく、自分に活かす。ということ。自分のゴールのために。自分ひとりでできることなんて、ほとんどない。大きな人を成し遂げる人は、100のうち99は人の力。

大切なのは、「それが誰か」ということ。自分の将来にとって価値がある人。その人と中心的に時間を割き、一緒にいること。それは好き嫌いではなく、大切かどうか、関連性が高いかどうか。

そのようにして人に助けられたり、助けたりすることで、最終的には「幸せな老人になる」ということです。老人というものは、厄介者。体が動かない、ただ世話をされるだけのもの。になることがあります。しかしながら、徳のある人、それまでの人生で様々な人との関係性があれば、まわりが「あの人をなんとか助けよう」となるのだそうです。

老いて初めて、その人の真価がわかるということです。「早く人より成功する」ことがもてはやされる昨今ですが、寂しく死んでいく人も中にはいるわけです。人生の途上で、他人と比べてどうか、ではなく、自分のゴールに向かってブレることなく、歩んで生きたいものです。

私が思ったことは、
たとえば「明日死ぬかもしれない」ことを前提に物事を考えるべきだ、あるいはそこに大きなヒントがある、とする考え方があります。それはひとつの真理だと思います。
しかしながら、一年に春夏秋冬があり、それにそって計画的に、季節とともに生活をしていたように、人生にも同じく、大きな流れがあります。また普通に考えれば、明日死ぬ人よりも、老いるまで生きる人のほうが多いのです。
かつては誰もが老人と共に暮らし、「自分はいかに老いるか、死ぬか」という、そこまで明確に考えなくても、遠くに目線をやることができたわけです。しかし核家族化がすすみ、そのようなことは少なくなったのではないでしょうか。

目の前のことに、物質的なことに、ステータスに、・・・
ただ、振り回されて自分を見失い、大切なものを何一つ味わうことなく人生を終えてしまう。そんなリスクが極大まで膨らんでいるのがいまの社会ではないかと思いました。

システムトレードをやろうかと思っています

システムトレードについては、様々な情報がある一方で、まだ一般化していない、あるいは敷居が高い側面があることも確かです。いくつか文献に目を通してみましたが、普通のFX口座を申し込むように「サクッ」とはじめられるような方法はいまのところないようです。

本当は、日本のすべての証券会社がAPI対応していればよいのですが。ソフトはすでにフリーで出回っているのです。とりあえず、完全自動とはいわず、バックテストやシグナリングは自動で、一方受発注は手動で、と裁量になりやすそうなやり方になりそうではあります。 続きを読む システムトレードをやろうかと思っています

脱・比較

自分が感じている「生きにくさ」について、気になった記事があったので、ピックアップしてみました。私は元来人目を気にしないたちなのですが、いつの間にか「ライバル症候群」に深くはまってしまったきらいがあると思うのです。つまらないですよね。 続きを読む 脱・比較