第二回編集キュレーターアカデミーにいってきました。
前回に負けず劣らずエキサイティングな2時間でした。東京編集キュレーターズの皆様、素敵な機会をありがとうございました。またいきたいです。
自分の結論は以下です。
- 素人が編集するウェブコンテンツの場合も、その編集の質と量がメディアの価値を左右する(当然)。
- 編集する人が質を上げるようなアーキテクチャを採用できれば、メディア価値が向上しやすい。
- たとえば、NAVERまとめは発信者の自己主張がほどよく抑えられる(自己主張しにくい)。PVを稼げるようにタイトルを工夫する動機が生まれる。そして作る工数は少なくて済む。Pinterestはその画像版? Facebookであれば、いいね!をもらえるよう必死に空気を読みつつもリア充な投稿をする。
- 情報が多すぎる。
- 情報そのものの価格が限りなく下がり、陳腐化速度が上がっている現在、唯一の資源制約は「時間」である。短時間で理解したり楽しんだり、というふうにすぐに価値を享受できる編集力が必要である。
- 機械的なレコメンド、ランキングはすでに画一的すぎる。Googleは情報を増やす元凶であると同時に画一的な結果を返す元凶でもある。
- 目利きによるフィルタ(=選別、編集、キュレーション)が必要。出会い、喜び、提案、感動、見たことない世界を切り開く新しい一歩、を作る「すごい人」にお金を払いたいし価値がある。
- 結果、編集の価値は下がることはない。むしろ上がる。
- 「従来型の編集」は存続しつつ。「新しい編集」が立ち上がる。
- 「新しい編集」とは、「多くの人によりよい編集をさせ続ける仕組みづくり」のことであり、アーキテクチャである。=「編集の編集」である。「編集の編集」がこれからのクリエイティブである。
以下、メモ。
- ブログは自己主張だったが、NAVERまとめはそうではないほどよい自己主張となるようなアーキテクチャになってる
- いま、スライス(パッケージをほどいて切り刻んだコンテンツ=アルバムからiTunesなどに行き着いたあと、またパッケージに戻ってきている
- 全部自分で選んでいくことはきびしい。分解したあとどうするのかがまだ見えていない。
- 分解したあとまたまとめなおすのがきている。音楽も別のかたちでコンピレーションとか、SOMA FMとか pintarestとか
- 文脈がだいじ。文脈あるものに人はお金を払う。
- ファッションデザイナーよりもスタイリストやセレクトショップにスポットがあたるというのはやはりセレクション、キュレーション、が求められている?
→あたりまえ。ファッションはパーツでは意味がない。組み合わせなければならない。着る理由、背景がある - タイトル 形容詞はいらない 時間とともに腐ってくる
スライスした情報にはつり気味のタイトルがいいけれど、
パッケージしたものにはストレートなのがいいかもしれない - まとめが支持される理由
制約があるからコンパクトなパッケージになる
なぜそのようなパッケージが支持されるかというと、時間という制約ではないか
2~3分で読めるようにまとまってしまっている - 2~3時間のインタビューを2~3ページにまとめてしまう
- プロフェッショナルメディア=時間を圧縮して提供してあげる ひとつの大きな役割
アマチュアメディア=編集してないホームビデオ - ウェブで見せる場合は2~3分におさまるように
2000~4000文字で一つになるように大きな特集も分割
それは内容の難易度による - そもそもいまスマホで移動中に読むということだから
気分的にもTPOとか。吉野家みたいなカウンターで2時間かかるフレンチ出されるようなもん。 - 米国は雑誌がメンバーズクラブ化している
70%が定期購読で売れる
マス媒体が信頼できないので、信頼できる個人から情報を買う、
ファンクラブから会報が届くような
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